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Mochi no aji

De
96 pages
In 1945 Tokyo, during the American Occupation, Ayako, a teenager, wanders on a huge black market among a starving crowd. In a country destroyed by bombing, ruined by a long war and where no landmarks are left, she tries to find an aim in her life. She wants to study and find a job. But her conservative parents are opposed to it. She suffocates. She then remembers her happy childhood, in the shade of the war, with good Fumisan who had become her confidante. From disappointing casual jobs to strange encounters, she becomes weaker and weaker. So she goes to see Fumisan in the countryside where she now lives. When Ayako eats a mochi that Fumisan has made, she can finally feel that the war is over and that peace is back. She regains her strength and goes back to Tokyo… (language of the book : japanese).

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序章

闇市


一九四五年の秋、十七歳のアヤ子は、英国製の
擦り切れたゴルフ用ニッカーズボン、カーディガン
姿のもう老境に入った父俊介に従いて闇市に行った

空は抜けるように晴れ上がり、強い秋の陽が髪の
一本一本を温め、額に当たる時は燃えるようでしき
りに喉が渇き、いらいらさせられた。

足元には 露天の じかに敷いたござにロウソク、
電球、パン焼器、包 丁などが並べられ、進駐軍払い
下げの迷彩服がぶら下がって商人の顔をかくしてい
た。カーキ色の物が無闇に目に付く。飯盒,水筒、
鉄兜、ゲートル・・・。おびただしい軍手が束にな
っている。負けた軍隊,勝った軍隊のものが投げ出
されて仲良くそこに並んでいる。

9 アヤ子の頭からはまだ空襲の記憶が抜けていなか
った。防空壕で聞いたヒュルヒュルという爆弾の
投下音、今にも頭上に、という恐怖の一瞬!
幸い炸裂音は遠くだった。と安心する間もなく、次
のヒュルヒュルが来て炸裂音がもっと近くなり、第
三, 第四弾とだんだん目標が我が家に近ずく あの恐ろ
しさ!恐怖が体に貼りついたと思っていた。

でも 今風に 揺られている 迷彩服を見ていると、
肥ってはちきれそうなアメリカ兵の肉体をはめてみ
ても、どうしても爆弾を投下している彼らの姿は想
像出来ず、夢のようで全く現実感がなかった。

空襲や飢餓やひどい不安に痛めつけられていた国
民は虚脱状態で、深くものを考えなくなっていて、
外で起こった現象をその一番簡単な形でしか吸収出
来ないところがあった。

終戦を疎開先の静岡で迎え、数ヶ月して東京に戻
ってきた石川一家は巨大な闇市に先ず圧倒された。

俊介 は首都から五百キロ離れた小都市の出身であ
る。野心的な気質から若い頃東京に出、有名な商業
大を卒業、国際貿易の大会社の役員になった。故郷
へは両親亡きあと一度も帰っておらず、つきあいも
途絶えた。その為アメリカの空襲を避けて皆が避難
し始めた頃、疎開の行く先がすぐには見付からなか
った。

が、幸い静岡県駿河湾沿いの知人の別荘を借りる
ことが出来た。別荘の持ち主は危険を感じてもっと
10 内側の山地へ行ったばかりだった。一九四五年四月
のことである。


静岡は温暖な気候、富士山や海のある美しい自然

みかん、茶、魚など豊富な 産物で知られている。
石川一家がここに居を定めた頃は蜜柑園が花盛りで
芳香を放ち、富士は日に日に雪が溶けてなだらかな
青い斜面を見せていた。この有名な山は、冬中覆わ
れていた雪を取り払ったあと痩せ、若返り、凛々し
く、美しさを増した。しかしこのパラダイスも戦争
の影を逃れられなかった。相変わらず食料不足だっ
た。

濃紺の海には一艘の漁船も無かった。敵機の機銃
掃射の恐れがあると人々はささやいていた。実際警
報は度々鳴った。都度ラジオは敵機が駿河湾上にい
ることを告げるのだが、彼らのいるこの小さな町に
爆弾が落ちる事はかつて なかった。間もなく石川家
の人々は、彼らの町及びその周辺は東京へ行く爆撃
機の通路に当たることを知った。彼らは先ず駿河湾
に到着、北へ前進、富士山辺りまで来ると進路を東
に取り、東京へ向かうのだった。

警報の都度仕事を中断される土地の人々は、編隊
を組んで飛ぶ大型爆撃機B29を眺め、数えるのが
常だった。

三月に百機だったのがすぐに数を増し、百五十、
二百,三百機となった。彼らは日本の空を自分たち
11 の領域であるかのように、自在に飛ぶのだった。す
ぐそばでこの力の示威を見せつけられて、人々は歯
噛みした。しかし爆撃の頻 度が増し、被害が大きく
なるにつれ、怒りは諦めに変った。(かれらに対し
て何が出来るだろう?)と人々は考えるのだった。
そして彼ら自身一度も爆撃を受けたことが無いの
で終いには少し安心した。

日本の飛行機は一機も現れなかったが、それにつ
いて誰も疑問を持たなかった。彼らは(近く起こる
であろう本土での決戦に備えて日本の飛行機は待機
しているのだ)という軍の宣伝を深く信じており、
それが唯一の自尊心のよりどころであった。

アヤ子は女学校が繰上げ卒業になったあと、兵器
工場への動員を逃れる為あるオフィスで働き始めた


彼女も警報の時は同僚と一緒に飛行機を見ていた


それはいつもと変らない五月のある日のことだっ
た。朝の十時ごろ警報が鳴った。と、すぐ大型爆撃
機が現れた。ところがその日は何かいつもと違った
雰囲気があった。アヤ子たちはこんな大量の航空機
をかつて見たことがなかった。あとからあとから来
た。空を覆い怒涛のように押し寄せ、それが数時間
続いた。見物人たちは呆気にとられ、数を数えるの
も忘れ、目は空に釘付けになったまま一言も発しな
かった。初めて本当の恐怖を知り、凍り付いてしま
12 った。日本の国民を全滅させようというアメ リカの
強い決意を感じ取ったのである。

翌日,この日の出撃は六百機であったこと、目標は
東京でなく、横浜であったことが分った。

この情報に石川家の人々は蒼くなった。二番目の
娘タエ子がそこに住んでいたからである。でも幸い
彼女は無事で三日後に疲れ果て面変りして両親の
家に現れた。ひどいショックを受けた彼 女はしゃべ
り止まず、彼女を囲む家族に空襲と火事のさまを詳
しく話した。夫は動員されていたので、姑と三歳の
娘と一緒に燃え盛る家から命からがら逃れたのだっ
た。

アヤ子は話を聞きながら、自分の姉がこんなひど
い目にあっていた時に呑気に飛行機見物をしていた
ことを強く恥じた。幼い姪の防火頭巾に無数の焦げ
あとを見つけただけ余計後悔の念が強かった。

タエ子は四年前に横浜で結婚した。その豪華な結
婚式を皆が覚えていた。嫁入り道具は念入りに調え
られた。しばらくの間母トモ子の頭にはそのことし
かなかった。数ヶ月かけて着物やその付属品,箪笥、
鏡台などが選ばれた。最後に俊介はピアノを付け加
えた。

家は幸せな雰囲気に満たされていた。

横浜の大ホテルで百人ばかりの招待者を集めた披
露宴も成功だった。アヤ子は「おめでとう」が繰 り
13 返されたことや、笑顔、グラスやフォークのかち合
う音、笑い声、晴れ晴れしいざわめきをはっきり覚
えていた。両親があれほど嬉しそうなのも見たこと
がなかった。あの結婚は両親にとって成功と繁栄の
シンボルだったのだ。

でも五月のある明るい朝、一瞬ですべてが焼けて
年寄りの髪のような灰になってしまった。残ってい
るのは各自の記憶だけだ。

アヤ子は眩暈を覚えた。彼女に恐怖を与えたのは
状況変化の早さである。日本はどうなるのだろう?
私たちは?

「命が助かってよかった。これからのことはあとで
考えよう」

俊介はこう言 って話を締めくくった。終戦が宣言
されたのはその三ヶ月後であった。

お昼近かった。商人の呼び声はだんだん姦しくな
り、人通りも増え、アヤ子たちはぶつかり合いなが
ら歩いた。空腹にせっつかれた目が、空襲から守る
ため地中に埋められていた泥の付いた瀬戸物などが
ごちゃごちゃ積まれた上を何か掘出し物はないか探
りながら、立ち止まることなく通って行く。

そこは省線大森駅前で、火災防止の為木造家屋は
壊されたが、それが終わらないまま終戦を迎え、壁
板が剥がれかけて宙ぶらりんになり、紙、ガラスな
どがうずたかく積まれ荒廃した様相 を呈していた。

14 秋の陽は取るに足らないござの上の物を一層みじ
めに見せ、通行人の飢餓の顔の彫りの深さを際立た
せ、俊介の白髪を光らせていた。

板切れを担いだ男が通った。まだ若い、服装もあ
まりボロでないインテリ風のその男は三、四枚の板
切れを担いでいるのだが、幅三十センチ、長さ六十
、七十センチ位の板切れはどれも不揃いで、時には
ずり落ちそうになるのを都度立ち止まって辛そうに
担ぎ直す。爆風で飛ばされたガラス窓を塞ぐためか
と思われた。

何枚もの衣類を無造作に横抱えにした女が行く。
中古衣類を買ったところか売 りに行くのか?くすん
だ色の一束で、抱えきれず袖がぶら下がっているの
が子供の屍体を思わせた。

少し先の看板も外され、棚は空っぽの店の前で行
列が出来ていた。敗戦のこの国では、少しでも行列
があるとそれがどんな商品かも知らず人々は先ず並
ぶのだった。別のある店では店主が棚を拭いていた
時、彼の弁当を見ただけで食べ物を売っていると思
われ行列が出来た。それに慣れた店主が倦んだ様子
で(何も売っていない)と首を振ると、池の金魚か
鯉のように群集は散って行った。

さんまの匂いが流れ始めた。露店のコンロで焼か
れているのだが、 その匂いと煙が通行人の群れを強
烈に包み込んでいき、闇市はますます活気づいて来
た。

15 角に一軒大きな食品店があり、そこには進駐軍の
横流れとおぼしいチョコレートやクラッカーがにぎ
やかに並び、日本食品も目を見張らせる程豊富で周
りとの調和を破っていた。店先に立って辺りを睥睨
しているのは四十がらみの艶のいいよく肥った男だ

はち切れそうなズボンはアメリカ兵に近かった。
通行人は疑わしそうな視線を投げたが、アヤ子も
いつの間にこんなに肥ったのだろうと内心思った。
成金の匂いのするこの店とその主を俊介はぽかんと
口を開 けて眺めた。アヤ子はこんな無防備な父を見
たことがなかった。商社マンとしてヨーロッパで活
躍し、日曜はゴルフを欠かさなかった父が六十代で
終戦を迎え、成金者を納得のいかない風でぼんやり
眺めている。アヤ子は辛かった。

しばらくして俊介はぽつんと言った。

「家が焼けなくてよかったね」

アヤ子は如何にも家長らしいこの言葉に不意をう
たれて答えなかった。かつての平和な生活に戻ろう
としている父親の姿勢を嗅ぎ取ると、漠然とした不
安が起こった。その頃至る所で人々が口にし始めた
が彼女には未知の ”平和 ”という言葉をそろそ
ろ本気で考えねばならない時が来たと思った。その
若さにもかかわらず二度の戦争を経験し、戦時意識
を叩き込まれていた彼女は、突っ走っているところ
を急に止められた子供のように混乱して闇市を凝視
するばかりだった。

16